~東平(とうなる)を訪ねて~
「マチュピチュ」とはペルーに残るインカの遺跡のことで、世界遺産にも指定されている。「東洋のマチュピチュ」こと、新居浜市東平(とうなる)。別子銅山 最盛期に採鉱本部が置かれ、その産業遺産が今でも残る東平は、旅行会社、マイントピア別子、リーガロイヤルホテル新居浜のコラボレーションにより、関西圏 などからの四国ツアーに組まれ、人気の観光スポットに。身近にある産業遺産、初秋の東平を散策してみませんか?
山根公園から車で約30分、東平は標高約750mの位置にあり、取材時もひんやりとした風が心地よい。大型バスが入れないため、旅行ツアー客はマイントピ ア別子・端出場ゾーンからマイクロバスのピストン輸送でこの地を訪れる。東平地区は「マイントピア別子・東平ゾーン」として整備され、駐車場、歴史資料 館、マイン工房などを設置。しかし、その観光の中心は昭和43年の東平抗休止により無人の地となった後の「産業遺産」。大規模なものから森の中に残るわず かな痕跡まで、大小の産業遺産が今でも数多く残っている。
規模の大きなものは索道停車場跡。端出場とを結ぶ索道(リフト)が鉱石運搬はもちろん、生活用品から郵便、新聞に至るまで運んでいた主要輸送機関。最盛期 には約3,800人の銅山関係者とその家族が住んでいた東平の重要な生命線でした。また停車場跡近くに残る貯蔵庫跡も圧巻。天にそびえる花崗岩作りの貯蔵 庫は、運ばれてきた鉱石を一時的に貯蔵するために作られ、今も当時の姿で残っている。
記念館から付近を散策。第三変電所のレンガ作りの建造物や、小マンプ第三通洞など当時のまま残るトンネル。歩道が整備され、歩いていても深緑が心地よく、また道中の石垣一つを見ても当時の様がうかがえる。
インクライン跡に作られた階段を下り、森の中をしばらく歩くと、病院や娯楽場などの跡地が垣間見える。銅山開発により「町」としての機能を持った東平だが、閉山後は植林活動を開始、人が撤退した町を自然に還していった。森の中に残る建物の痕跡や石作りの橋などが印象深い。
記念館は、鉱山の町として賑わった東平の往時の生活文化や銅山の詳細を展示物やビデオで紹介。(入場無料)またマイン工房では銅版レリーフの制作体験がで き、手づくりの楽しさを味わうことができる。(300円/所要時間1時間~)ちなみに銅板レリーフの講師は、ホージャ!74号の表紙でもご紹介した、銅板 レリーフ作家の橋本育子さん。橋本さんの手ほどきにより、ホージャ!スタッフもレリーフを制作してみました。
自然と、別子銅山の産業遺産が残る東平。単に自然を楽しむもよし、また新居浜の原点でもある「別子銅山」の歴史を垣間みるもよし、地元にある産業遺跡、この目で見てみませんか?
…と、原稿を書き上げたところで飛び込んできたのが、第1回「観光甲子園」で新居浜南高校・情報科学部(こちらもホージャ!107号で紹介)が見事「準 グランプリ」に輝いたニュース。全国の高校生たちが、地元の魅力を盛り込んで企画した観光プランを競い合う「観光甲子園」で、同校情報科学部は、別子銅山 ゆかりの地を巡るツアーを企画、東平や四阪島のクルージングを組み込んだ、別子銅山300年の歴史を体験するツアーが、準グランプリの栄冠に。大会委員会 では「実現性の高いプランは商品化も検討する…」ということなので、今後ますます「銅山の産業遺跡」が注目を浴びる可能性も!? 地元に住む者として、ますます行っておかなけれは!!
実際に行ってみて…(取材日/2009年 8月25日)
■天気が良ければ、新居浜市街から瀬戸内海まで続く絶景が!!
■山特有の「アブ」などの虫に注意(虫除けスプレー携帯)
■S社携帯電話は圏外でした。(D社、A社は通話可能)
■食事のできる施設はありません。(ジュース自販機のみ)
■施設は12月1日から翌年の2月末日まで休館です。
マイントピア別子HP