幻の動物園の記憶を探って…

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新居浜に動物園があった?象がいた!?

今から30数年前の昭和40年代後半、新居浜市内に動物園が存在した。現在35~40歳前半の方は行った記憶がある方も多いだろう。ただ、その年代の方は当時就学前か、小学校低学年。「山の中にあった…」「象がいた…」断片的な記憶を蘇らせるため、Hoo-JA!編集部が取材を決行。30年前の記憶を紐解いていく難取材ではあったが、ノスタルジックに思う方、動物園の存在を知らなかった方にも、ぜひとも知っていただきたい。

 

序 章 象がいた…

新居浜には昔、象がいた…」

とある集まりでのこと、生まれも育ちも新居浜の友人N(昭和42年生)が言った。「えっ?新居浜に象?」現在では考えられないことに、一同耳を傾ける。しかし、「山の中に動物園があって、象を見た。でもそれだけしか覚えていない…」 どこにあったの?名前は?象の他に何がいたの?30数年前へ遡る取材が始まった。

 

第二章 高速道路

「上原(うわばら)から山道を上がっていったような…」別の方から証言を入手。上原近辺でご高齢の方を中心に話を伺う。「動物園?あったねー。そやけど、高速道路が出来たけんねー」複数の方から「高速道路の位置」と、だいたいの場所は想定。しかし、詳しい場所が特定できない。図書館で当時の住宅地図を調べたが、現在の高速道路付近はまだ山間部。住む人もなく地図に表示されていなかった。国土交通省のホームページから昭和49年の航空写真(写真1)を入手。当然高速道路は未建設。近くにある法楽寺もまだ更地である。その南方向、山間部の敷地に複数の建物が。昭和49年の航空写真と、現在の詳細地図を重ね合わせてみる。

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「これだ!」

まさに、高速道路が通る場所に、動物園と思われる敷地が重なり合った!!

 

第三章 高尾

動物園のあった場所、上原4丁目と萩生(治良丸)の間は、当時「高尾」と呼ばれていた。現在でも中萩中学校校歌に「高尾山」は歌われている。昭和50年代初めの新住所表示により、住所表記としての「高尾」はなくなり、現在では高速道路に掛かる橋が「高尾橋」としてその名を残すのみとなった。(現在の正式住所は大永山)

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「高尾動物園だったのー」

この名称が出てきたのは、取材を始めてから、しばらくしてのことである。取材当初、動物園の呼称すら解らなかったが、ここに来て大きな進展!でも、一体誰が?どうしてここに?

 

第四章 仮説

この高尾動物園、M氏という方が関与したと思われる。他県から、新居浜にやってきたと言われるM氏。市内上部地区で小鳥店(ペットショップ)を経営。当時の住宅地図にも、この小鳥店は表記されていた。これまでの取材を元に仮説を建てると、販売用の鳥獣をこの「高尾」の地で飼育。当初は犬、猫が主だったが、スケールアップし、動物園として開園、一般に解放。最終的に象まで飼育したのではないか?

また、移動動物園として、市内外の小学校などに小動物を連れていき、子供達の生きた学習材料として人気があったとの話もあった。

もともと、ペットショップの飼育の場だったと思われる「高尾動物園」。象の導入は、開設からしばらくして経ってからのようである。見物無料だったが、象導入を機に、入場料を徴集する計画もあったらしい。ただ、実際に象を見物に行った方の話では「無料だったと思う…」との証言も。象の名前募集コンテスト(賞品は自転車)、食堂の開設など、当時はそれなりに賑わっていたようだ。

 

第五章 動物たち

象がいたのは多人数の証言から間違いない。母体がペットショップということで、犬・猫がいたのもうなずける。中には「パグ犬」など、当時としては珍しい種類も飼育されていたようだ。ただ、これだけの種類では「動物園」とは呼べない。他にどのような動物が飼育されていたのであろう?証言のあった動物達を書き出してみよう。

・象(小象) ★★★★★
・犬 ★★★★
・猫 ★★★★
・サル ★★★★
・チンパンジー ★★★★
・ニシキヘビ ★★★
・ペンギン ★★
・ダチョウ ★★
・いのしし
・シカ
・ラクダ
・キリン
・ライオンorトラ
・ワニ
の数が多い程、複数の証言があった動物。?は「いた」と言う方と「いない」と言う方で意見が分かれた動物。

数々の証言はあるものの、なにせ30年以上前の話。記憶が当時松山にあった道後動物園と混同している可能性もある。しかし、この全種類が飼育されていたとしたら、規模は小さくても「動物園」と呼ばれてなんら不思議ではない。

 

第六章 閉園

ただ、開設期間は短かったようだ。取材を行った数々の方の記憶を整理すると、昭和45年から50年までの間で、3~4年程度の営業だったらしい。また、私立の個人動物園として、正式に開業計画もあったようで、数々の動物を新しく導入していたが、ままならなかった、との話もあった。

動物園は入場無料、ペットショップの収入等で運営されていたと思われる高尾動物園。経営的にも難しかったのだろうか?わずか3~4年で、閉園となった。残念ながら閉園時についての証言は得られなかった。
昭和53年頃より、高速道路工事が始まり、付近の環境は一変。平成3年には高速道路・松山自動車道(伊予西条IC)も開通し、現在では現地へ行っても動物園の名残りは何一つ残っていない。
思い出だけを残して、昭和の時代にいつの間にか現れ、いつの間にか消えていった高尾動物園。正式な開設年月日、期間は、今も不明のままである。

 

最終章 幻の動物園

昭和40年代、動物の輸入規制も現在のように厳しくなく、全国各地で数々の「ミニ動物園」が開園し、そして消えていったという。高尾動物園も時代の流れに乗り、消えていった動物園の一つだろう。
また、今回の取材に当たり、お話をうかがった全ての方に「写真をお持ちではないですか?」と聞いてはみたものの、高尾動物園の写真を所有している方は誰一人としていなかった。昭和45年~50年代、カメラはまだまだ高価なもので、普及率も低かったのだろう。

写真すら残っていない幻の「高尾動物園」。現在では、「動物園があった。象がいた」という記憶だけが生きている。

 

後記

「図書館とインターネットでなんとかなる」と、簡単に考えていた今回の取材。しかし、私設ということで、公的な資料は何もなく、インターネットで、どんなキーワードで検索しても、この「高尾動物園」の情報は得られませんでした。そこで、当時近くに住んでいた皆さん、実際に動物園に足を運んだ皆さんからのお話を元に、紙面にて情報を整理・構成する形となりました。お話をおうかがいした皆さんには、30年前の記憶を遡って頂いたため、中には不透明で、あやふやな証言があったかもしれません。文中には誤った内容が書かれている可能性もあります。また、取材を進めていくうちに、紙面ではお伝えできない終末を語ってくれた方もいました。
ただ、新居浜に「象」がいたのは、多数の証言からも、まぎれもない事実です。当時は象のような大型動物を飼育する上での規制が、現在のように整備されていなかったのもあるでしょう。(現在、個人の方が象を飼育することは、さまざまな規制・条例等で、まず不可能。しかも、象は絶滅の危険のある種に指定され、学術的目的・繁殖目的等以外での商取引を禁止されている) また松山・道後動物園まで行くにも、マイカー普及率も低く、高速道路も未完成で、今のように簡単ではなかった時代。そんな中、新居浜で「象」に会えた、数年間だけの幻の動物園。新居浜に動物園が存在し、象がいたただけでも、夢があったお話じゃありませんか?